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例会

2022年10月12日 (水)

『教育』を読む会・読者会の交流の会のご案内

『教育』を読む会・読者会の交流の会

 

札幌「教育」を読む会の池田考司さんがオンライン交流会を企画してくださいました。

 

トピック: 全国『教育』を読む会読者交流会(準備集会)
時間: 2022年11月5日 10:00 AM 大阪、札幌、東京
Zoomミーティングに参加する
https://us06web.zoom.us/j/85379836325?pwd=RDFPT0tyTUJLRFVSMTk0STZ4OUd2UT09
ミーティングID: 853 7983 6325
パスコード: 393408

トピック: 全国『教育』を読む会読者交流会(準備集会)の夜の交流会
時間: 2022年11月5日 07:00 PM 大阪、札幌、東京
Zoomミーティングに参加する
https://us06web.zoom.us/j/85989493017?pwd=QUUrOGsrVGFvYVh1d3pwNk9hNVpnUT09
ミーティングID: 859 8949 3017
パスコード: 935255

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2020年9月29日 (火)

年内の例会再開の見通しについて

多摩「教育」読者の会は、コロナウイルス下で休会状態が半年続いています。

会場となっている一橋大学は9月中旬から図書館利用や対面授業が限定的に再開されましたが、入構時には職員証・学生証を提示することが求められます。一般の方は守衛所で手続をすれば入構不可能ではありませんが、教室利用においてもその都度感染防止策を講じることが求められるなど、気楽に例会を開くことが歓迎される状態ではありません。この状況は年度内は続く見込みです。

先日、初めての方から電話で問い合わせがありました。休会状態にあることが残念です。他の読者の会ではオンライン開催しているところもあるようです。対面での再開をめざしたいと思いますが、その前にオンラインで再開することも一案だと思いますので、zoom利用による開催希望などがあればご意見をお寄せください。

 

2020年6月10日 (水)

多摩「教育」読者の会6月例会 休会のご案内

緊急事態宣言は解除されましたが、東京アラートが発せられているような状況ですので、

6月例会も休会とします。

2020年5月 9日 (土)

多摩「教育」読者の会5月例会 休会のお知らせ

多摩「教育」読者の会5月例会は、4月例会に引き続き休会とします。

ウイルス感染拡大防止に向けて忍耐が強いられる状況が続きますが、みなさまどうぞご自愛ください。

2020年4月 1日 (水)

多摩「教育」読者の会4月例会 休会のお知らせ

多摩「教育」読者の会4月例会は、4月23日(木)18:30から一橋大学で開く予定になっていましたが、ウイルス感染拡大防止が切実な課題となる中、会場施設の利用が困難になりましたので、3月例会に引き続き休会とします。

5月例会については第4木曜を予定していますが、開催の有無については状況を見ながら改めてご連絡します。

2020年3月 7日 (土)

多摩「教育」読者の会3月例会のご案内

 2月例会の参加者は、5名でした(建物に入れずに出席できなかったという方が他に1名いました)。新型コロナウイルスの影響で各種集会の中止が相次いでいる中でしたので、出席を予定していた複数の方からご丁寧に欠席連絡をいただきました。

 特集1については、趣旨文に「リーダーシップとトップダウンが混同されている」、篠原論文でリーダーシップとマネジメントを対比したうえで「マネジメントに偏りがち」だと指摘されていることを受け、「リーダーシップ不在でマネジメント一辺倒になっているのではないか」という意見が出されました。しかしそのような状況分析をひとまず受け入れるとしても、なぜ企業組織論のコッターに依拠して説明しようとしたのか、理由の説明が欲しかった、という意見も出されました。そして今日苦境にあるとされる「対話と合意の学校づくり」こそ分散型リーダーシップの形なのではないかという意見が出された一方で、リーダーシップ論は組織内に完結した議論であることが多く、組織外とつながって意思決定を行おうとする議論とは区別されるのではないかという意見も出されました。関連して、趣旨文にある「チーム学校」をどう評価すべきかという問いがだされ、政策的に推進される「チーム学校」と、ありうべき形としての<チーム学校>を区別して考えた方がよいという意見も出されました。

 稚内での事例を紹介した本間論文については、こういう子育て支援が実現すればよいけれどもこれはやはり稚内や連載「子どもは地域の宝やき」にある土佐町のような地方部ならではの取り組みであり、都会では難しいのではないか、という感想が出されました。本間論文にある「コーディネーターとしての校長」論をどう考えるかについては、中原論文にある「隣の席に座る同僚を気にかける職員室」の関係・雰囲気づくりを担うのがその答えの一つではないかといった意見も出されました。また校長がマネジメント職となってきている事実を踏まえる一方で、「校長=子ども理解できていない、一般教員=子ども理解できている」という二項対立の図式で語るのはいかがなものか、といった意見も出されました。

 第二特集を特に切り分けて論じることはしませんでしたが、小山論文にあるシュタイナー学校の事例にあるような「学校をつくる、保護者の力」「学校をつくる、地域社会の力」は一条校にもあてはまることで、この事例は特に、学校の理念が明確になっており、保護者の力がうまく活用されて回っている事例なのではないかという感想がありました。

 

 3月号の特集は「急げ、働き方改革 人が生きる学校へ」「大学で、教養と教育を考える」です。2月号では一条校における校長の在り方とオルタナティブとしての各種学校の在り方を扱いましたが、3月号では一条校における教員の在り方を考えます。

 新型コロナウイルスの感染が拡大しつつあります。例会の開催を見合わせることも考えられます。その場合にはブログとメールで改めてご連絡を差し上げます。

 

期日: 326日(木) 1830~ 

会場: 一橋大学第一研究館小集会室 

     西キャンパス正門の正面に見える時計台が図書館です。図書館正面入口を入って右折し、建物の角を道なりに曲がります。渡り廊下を通ってすぐ右にあるのが小集会室です。

 

4月例会は423日(木)、会場は一橋大学第一研究館1F小集会室の予定です。

2020年2月 8日 (土)

多摩「教育」読者の会2月例会のご案内

 1月例会の参加者は、初参加者を含めて10名でした。小集会室が手狭となり、うれしい悲鳴をあげることになりました。初めに参加者より、多摩地域で近日中に開催される集会の情報提供や、12月号第二特集にあった「黙の指導」に関する行政研修配布資料の紹介、立川高校定時制の募集停止が延期されたといった情報提供などがなされました。

 第一特集「インクルーシブと特別支援を深く知る」については、窪島論文がやや難しかったという感想が出されました。障害児教育をめぐる戦後の論争は、インクルージョン政策の中でどうなったのかという質問や、フルインクルージョンの実現可能性についての疑問、さらには古インクルージョンが実現するのは特別支援教育が消滅することを意味するのか、といった問いが出されました。またドイツと日本の比較について、日本の障害児学校在籍率が少ないことは、十分な支援なき(普通教育への)放り込みを意味しているのだろうか、といった問いもだされました。

 第二特集の渡辺論文では教師の仕事を「子どもとともに育つ伴走者」と述べています。この規定に対して素直な共感が出される一方で、教育の世界には「どの子どもも伸ばさなければいけない」という思い込みが存在しているようだが、介護の世界は発達の論理とは異なっているという指摘もなされました。ホームレス支援においてはあらかじめメニューを用意することは意味をもたず、一緒に次の課題を考え見つけていくこと「伴走型支援」が望ましいとされています。これに対し、教育の世界は、支援者の側の意図や計画といった「操作の論理」を必然的に抱え込む宿命を抱えており、教育的価値を手離すことがなかなかできないので、黒子に徹して伴走することができないのではないか、という指摘です。また、知的障害と肢体不自由では支援者の側の支援観の違いが存在するといった指摘もなされました。

 「多様な教育の場の必要性」を満たしていくには、スクールソーシャルワーカーのような存在が重要になるという意見が出される一方、教師固有の課題としては、鈴木・石垣論文で述べられているような「授業の中の子ども理解」が大切なのではないか、という意見が出されました。

 汐見論文をめぐっては、1980年代からとおして子どもをめぐる状況を俯瞰しているのがよいという評価がありました。「子どもたちは生まれてたしかに自分の人生を自分で選んで納得して生きているという感覚がうまく得られなくなっている」という指摘には共感の声があがりました。放課後デイサービスのような、学校とも家庭とも異なる場では、安心して自分を出せ、主体性を発揮し育むことができます。それでは学校はどうあればよいのでしょうか。囲われた生活の場であるという必然性を抱えつつ、それが肥大化しないように教師は取り組んでき続けたのであり、体験を共有し、居場所という感覚をも持てる場にしようとしてきた中で、<競争>と<共同>のせめぎあいの空間と把握するべきではないか、という意見がだされました。

 第二特集「わたしの教師像をつくる」については、上記の議論をふまえ、「学びを通して居場所をつくる」という役割を担ううえで、Aケアの論理派とB教材・授業研究重視派が存在していることがまず語られました。両者は二項対立の関係にあるわけではないが、一人でABの二役を担うべきなのか、それとも教師集団の中にA派とB派が混在していればよいと考えるべきなのか、という問いが出されました。

 つくられた教師像、求められる教師像からの脱却を提起する佐藤高樹論文については、行政研修においては「カウンセラー型」か「コーチ型」かの方向づけがなされている、という情報提供がありました。これはAケア重視派とB教材・授業研究重視派という民間教育研究運動における指向性の違いと重なるものを含んでいます。こうした方向づけに対し、教師は「場の管理人」にすぎないのでよいのではないか、という意見が出されました。そしてB教材・授業研究重視派にしても、主役は教材であって教師自身ではないのではないか、という意見も出されました。

 佐藤隆論文が指摘する「多忙化が教師たちから主体性と学びを奪い、専門職集団としての質を低下させ」ているという指摘には共感が出され、こうした状況をつくりだしている学校管理職への不満も出されました。これについては二月例会の第一特集を扱う際に再検討することになりました。

 例会の記録を作成してはどうか、という提案については承認がなされ、充実した議論となった時には、『教育』の教育情報欄に投稿して、例会関係者以外にも広く問題提起することも視野に入れることになりました。

 

 2月号の特集は「いま求められる校長の役割」「『みんなの学校』は誰のもの?」です。すでに2月号の教育のことばについては、一月例会でも話題になったところです。ケアと教育という概念が学校現場でどう両立されるべきなのか、両立されうるのか。学校や教師のあり方をめぐって議論してみましょう。

第二特集の執筆者が参加してくれることになっています。補足説明を聞きながら、一月例会での議論の延長戦を再開してみましょう。

 

期日: 227日(木) 1830~ 

会場: 一橋大学第一研究館小集会室 

     西キャンパス正門の正面に見える時計台が図書館です。図書館正面入口を入って右折し、建物の角を道なりに曲がります。渡り廊下を通ってすぐ右にあるのが小集会室です。

 

〇3月以降は423日(木)で、会場は一橋大学第一研究館1F小集会室の予定です。

〇3月28日(土)~29日(日)に、奈良教育大学附属小学校で三月集会が行われます。

2020年1月 6日 (月)

多摩「教育」読者の会1月例会のご案内

12月例会の参加者は8名でした。自家製(!)こんにゃくを煮つけて持参してくださった方を含め、持ち寄りの品によるクリスマス軽食会となりました。

 第一特集「追いつめる社会に抗い、育む」は、教師以外の方の原稿が多くを占めたことについての感想が述べられました。『教育』は小中学校教師の原稿が多くなりがちなので、この特集は珍しい構成だったといえそうです。

 荒巻論文については、なかなかふりむいてくれない生徒や保護者と向き合おうとする粘り強さに感嘆する声が出されました。そのとりくみや登場人物の息づかいが伝わってくる筆運びと、詩的表現で構成された特集冒頭のことばのコントラストに注目した意見も出されました。そして論文の中に登場する学校教師の「来てくれたらやれることはあるんですけどねえ」という反応をめぐり、身近な状況に照らし合わせながら意見交換がなされました。

 川松論文では「学校は教育機関でありながらも、子どもや家族の支援につなぐことができる福祉的な機関でもありえる。学校がソーシャルワーク的な視点をもってかかわれるようになるといいのではないだどうか」という提起がなされていましたが、これをふまえ、自らの職場体験などに照らしながら、スクールカウンセラーやスクールソーシャルワーカーのような存在が果たしうる役割、そういった存在を前提として教師が引き受け直すべき役割とは何なのかについての議論がなされました。また、高校生でありながら、現在の学校や社会を相対化する位置から意見を述べている高田論文についても意見交換がなされました。

 

 特集のまとめであると同時に十月号の続編ともなっていた大江論文については、教師の学級運営をかき乱す子どもに対し、「全体が心地よくなる状態が怖いのかもしれない」と受けとめる解釈には考えさせられるとして、ひとしきり意見交換が行われました。

 第二特集「学校にしのびこむ『黙』」では、スタンダードの徹底が行われる中、逸脱を許さない「黙」の指導を教師が受け入れてしまっているのではないかという意見やそれに対する批判が出されました。また、一律に「黙」を否定するのではなく、その中に見るべき要素があることを評価したうえで、否定すべき点は毅然と批判すべきだとする山本論文を評価する声もありました。

 また、例会の記録を作成してはどうか、という提案がなされました。充実した議論となった時には、『教育』の教育情報欄に投稿して、例会関係者以外にも広く問題提起することも視野に入れた提案です。この点については一月例会で再び話し合う予定です。

 

 1月号の特集は「インクルーシブと特別支援を深く知る」「わたしの教師像をつくる」です。

高校でも求められるようになってきた特別支援。最近は、教えることにこだわりのない(ケア志向の)教員志望者が増えているという話もあります。そんな状況の中で、学校や教師の役割をどう考えればよいのか。12月例会では第一特集をめぐってケアと教育のあり方について言及がなされました。その延長線上にあるテーマとして議論したいと思います。

 

期日: 123日(木) 1830~ 

会場: 一橋大学第一研究館小集会室 

     西キャンパス正門の正面に見える時計台が図書館です。図書館正面入口を入って右折し、建物の角を道なりに曲がります。渡り廊下を通ってすぐ右にあるのが小集会室です。

 

2月以降は227日(木)、326日(木)で、会場は一橋大学第一研究館1F小集会室の予定です。

〇3月28日(土)~29日(日)に、奈良教育大学附属小学校で三月集会が行われます。

 

 

 

2019年11月 7日 (木)

多摩「教育」読者の会11月例会のご案内

 9月例会の参加者は初参加の大学生2名や特集企画担当者を含む11名でした。職員集会所が使えなくなったため、キャンパスに隣接する佐野書院で行われました。

議論は専ら特集1「過敏な子ども・固まる子ども」に集中しました。

 大江論文にある実践に対しては、道徳と生活指導と学級経営が融合したものであり、固く閉じた子どもたちの塊を溶かし、声を引き出していく力量に賞賛の声が出されました。教師経験者からは、ギャングエイジにさしかかった子どもたちと上手に向き合うのは難しいといった声や、教材を媒介とする教科指導でないこのような実践を自分にはできる気がしない、という声も出されました。他方で、「みんなで言えないストーリーに変えてみようか?」という発題は見事だとする一方で、「教科書の正解は…だよね」という発言に対してはその含意について評価が分かれ、いろいろな意見が出されました。

 また、嵯峨山論文に出てくる生徒が『はだしのゲン』に出会って生き直す様子について、教材が持つ感化力について議論がなされました。教育情報の「道徳教育の『転換』と授業」が、「子どもに『自分との関わりを発言させねばならぬ』といった矮小化されぬ」よう警告を発していることとあわせ、道徳・公共・現代文といった「教科」で読み物がどのように扱われることが望ましいのか、意見交換がなされました。そこでは教師が正解をおしつけてはいけないという意見が出る一方で、ただそれぞれの子どもたちの考えを聞いていくだけでよいのかという意見も出されました。

 さらに、天木論文にある養護教諭や荒巻論文にあるソーシャルワーカーのような、教諭とは異なるポジションにある存在の固有な役割についても議論がなされました。

 

 11月号の特集は「改革ラッシュに揺らぐ高校教育」「教育の『無償化』ってほんと?」です。9月号では教師の現状に、10月号では子どもや若者の現状に焦点をあててきましたが、教育改革の現状を議論したいと思います。

 

期日: 1128日(木) 1830~ 

会場: 一橋大学佐野書院小会議室

    (『教育』には第一研究館小集会室と記載されていますが、会場変更となりました

    国立駅から正面に延びる大学通りを歩き、西キャンパス正門を通過して、キャンパスの角で右折します(標識あり)。50mほど進み左手にある邸宅が佐野書院です。キャンパス内ではなくキャンパスの外にあるのでご注意ください。

    http://www.hit-u.ac.jp/guide/campus/campus/index.html (26番が佐野書院)

12月例会は1219日(木)で、会場は一橋大学第一研究館1F小集会室です。

2019年10月 3日 (木)

多摩「教育」読者の会10月例会のご案内

 9月例会の参加者は8名でした。小・中・高・NPO立学校の関係者・経験者がそろったこともあり、議論は専ら第一特集「縛られる学校、自らを縛る教師たち」の内容に集中しました。

 まず、塩崎論文で紹介されている下駄箱の靴や傘の柄の揃え方、職員室への子どもの入り方のルーティーンが話題となり、異常な生活指導だという意見が共有されました。

また、角谷論文については、隙のない指導教員の指導によく耐えきったという同情の声があがりました。「気がつけば…指導案を展開するロボットになっていきました」と書かれているが、このような文章を書いているからには、指導体制に疑問を持っているのだろうという意見が出る一方で、最近の若い教員は(必要な指導内容も含めて)聞き流している人も増えている、という指摘も出されました。こうした教員の縛られ方については、新川論文の「選べるのは『はい』か『YES』か」しかないという表現にも良く表れているという意見がでました。谷口論文で述べられている、研究授業でまわりからの評価に押しつぶされそうになったというエピソードについては、参加者自らの授業姿勢をふりかえって議論がなされました。我が道を貫いているという参加者もいる一方で、研究授業以外でも定期試験の統一問題化によって教材・授業内容の画一化がすすめられているという報告もありました。また曽和論文がとりあげた宿題についても、宿題を出すことが自己目的化しており、そのこと自体に教師が疑問を持たなくなっているといった指摘がありました。こうした状況については、当日欠席した現役の中学校教員から、「愕然としました。現場感覚として、もちろん実感もあるのですが、あそこまでの現況が文字で示されると、足元が崩れていく感覚です。」という感想をいただいています。

教師文化をとりあげた松田論文については、紹介されている「あいうえお運動」について無意味だと批判する意見がでる一方で、子どものリアクション自体は授業で意味あるものだから、何のためにどのような方向づけをするか、めあてを見すえることが大切だという意見もだされました。マニュアル化に伴い教員文化が収縮しているという松田論文の指摘に共感が出される一方で、「何に縛られるか」を相互行為的達成として説明する鈴木論文の主張はわかりにくいという声がでました。これに対し、社会構成主義の立場から書かれた論文だという説明や、松田論文と鈴木論文では出発点として見ている教師文化の内容が異なるのではないかという意見が出されました。そして、「自らを縛る」文化をつくりあげているのも教師の相互行為であるならば、それを相互行為でつくりかえる可能性もあることを指摘しているのではないかという解釈が出されたのに対し、厳しく縛られている現状において、「成否もまた主体的な教師間相互行為に委ねられている」とするのは楽観的すぎるのではないか、という反論も出されました。

 

 10月号の特集は「過敏な子ども・固まる子ども」「学童期の子どもたちと泣き笑い」です。9月号第二特集に続き、子どもや若者の多様な生のあり方を見つめ直したいと思います。

 

期日: 1024日(木) 1830~ 

会場: 一橋大学佐野書院小会議室

    (『教育』には職員集会所と記載されていますが、職員集会所が使用停止となったので、会場変更となりました

    国立駅から正面に延びる大学通りを歩き、西キャンパス正門を通過して、キャンパスの角で右折します(標識あり)。50mほど進み左手にある邸宅が佐野書院です。キャンパス内ではなくキャンパスの外にあるのでご注意ください。

    http://www.hit-u.ac.jp/guide/campus/campus/index.html (26番が佐野書院)

11月例会は1128日(木)で、会場は一橋大学佐野書院です。

12月例会は1219日(木)で、会場は一橋大学第一研究館1F小集会室です。

 

 

 

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