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例会

2020年6月10日 (水)

多摩「教育」読者の会6月例会 休会のご案内

緊急事態宣言は解除されましたが、東京アラートが発せられているような状況ですので、

6月例会も休会とします。

2020年5月 9日 (土)

多摩「教育」読者の会5月例会 休会のお知らせ

多摩「教育」読者の会5月例会は、4月例会に引き続き休会とします。

ウイルス感染拡大防止に向けて忍耐が強いられる状況が続きますが、みなさまどうぞご自愛ください。

2020年4月 1日 (水)

多摩「教育」読者の会4月例会 休会のお知らせ

多摩「教育」読者の会4月例会は、4月23日(木)18:30から一橋大学で開く予定になっていましたが、ウイルス感染拡大防止が切実な課題となる中、会場施設の利用が困難になりましたので、3月例会に引き続き休会とします。

5月例会については第4木曜を予定していますが、開催の有無については状況を見ながら改めてご連絡します。

2020年3月 7日 (土)

多摩「教育」読者の会3月例会のご案内

 2月例会の参加者は、5名でした(建物に入れずに出席できなかったという方が他に1名いました)。新型コロナウイルスの影響で各種集会の中止が相次いでいる中でしたので、出席を予定していた複数の方からご丁寧に欠席連絡をいただきました。

 特集1については、趣旨文に「リーダーシップとトップダウンが混同されている」、篠原論文でリーダーシップとマネジメントを対比したうえで「マネジメントに偏りがち」だと指摘されていることを受け、「リーダーシップ不在でマネジメント一辺倒になっているのではないか」という意見が出されました。しかしそのような状況分析をひとまず受け入れるとしても、なぜ企業組織論のコッターに依拠して説明しようとしたのか、理由の説明が欲しかった、という意見も出されました。そして今日苦境にあるとされる「対話と合意の学校づくり」こそ分散型リーダーシップの形なのではないかという意見が出された一方で、リーダーシップ論は組織内に完結した議論であることが多く、組織外とつながって意思決定を行おうとする議論とは区別されるのではないかという意見も出されました。関連して、趣旨文にある「チーム学校」をどう評価すべきかという問いがだされ、政策的に推進される「チーム学校」と、ありうべき形としての<チーム学校>を区別して考えた方がよいという意見も出されました。

 稚内での事例を紹介した本間論文については、こういう子育て支援が実現すればよいけれどもこれはやはり稚内や連載「子どもは地域の宝やき」にある土佐町のような地方部ならではの取り組みであり、都会では難しいのではないか、という感想が出されました。本間論文にある「コーディネーターとしての校長」論をどう考えるかについては、中原論文にある「隣の席に座る同僚を気にかける職員室」の関係・雰囲気づくりを担うのがその答えの一つではないかといった意見も出されました。また校長がマネジメント職となってきている事実を踏まえる一方で、「校長=子ども理解できていない、一般教員=子ども理解できている」という二項対立の図式で語るのはいかがなものか、といった意見も出されました。

 第二特集を特に切り分けて論じることはしませんでしたが、小山論文にあるシュタイナー学校の事例にあるような「学校をつくる、保護者の力」「学校をつくる、地域社会の力」は一条校にもあてはまることで、この事例は特に、学校の理念が明確になっており、保護者の力がうまく活用されて回っている事例なのではないかという感想がありました。

 

 3月号の特集は「急げ、働き方改革 人が生きる学校へ」「大学で、教養と教育を考える」です。2月号では一条校における校長の在り方とオルタナティブとしての各種学校の在り方を扱いましたが、3月号では一条校における教員の在り方を考えます。

 新型コロナウイルスの感染が拡大しつつあります。例会の開催を見合わせることも考えられます。その場合にはブログとメールで改めてご連絡を差し上げます。

 

期日: 326日(木) 1830~ 

会場: 一橋大学第一研究館小集会室 

     西キャンパス正門の正面に見える時計台が図書館です。図書館正面入口を入って右折し、建物の角を道なりに曲がります。渡り廊下を通ってすぐ右にあるのが小集会室です。

 

4月例会は423日(木)、会場は一橋大学第一研究館1F小集会室の予定です。

2020年2月 8日 (土)

多摩「教育」読者の会2月例会のご案内

 1月例会の参加者は、初参加者を含めて10名でした。小集会室が手狭となり、うれしい悲鳴をあげることになりました。初めに参加者より、多摩地域で近日中に開催される集会の情報提供や、12月号第二特集にあった「黙の指導」に関する行政研修配布資料の紹介、立川高校定時制の募集停止が延期されたといった情報提供などがなされました。

 第一特集「インクルーシブと特別支援を深く知る」については、窪島論文がやや難しかったという感想が出されました。障害児教育をめぐる戦後の論争は、インクルージョン政策の中でどうなったのかという質問や、フルインクルージョンの実現可能性についての疑問、さらには古インクルージョンが実現するのは特別支援教育が消滅することを意味するのか、といった問いが出されました。またドイツと日本の比較について、日本の障害児学校在籍率が少ないことは、十分な支援なき(普通教育への)放り込みを意味しているのだろうか、といった問いもだされました。

 第二特集の渡辺論文では教師の仕事を「子どもとともに育つ伴走者」と述べています。この規定に対して素直な共感が出される一方で、教育の世界には「どの子どもも伸ばさなければいけない」という思い込みが存在しているようだが、介護の世界は発達の論理とは異なっているという指摘もなされました。ホームレス支援においてはあらかじめメニューを用意することは意味をもたず、一緒に次の課題を考え見つけていくこと「伴走型支援」が望ましいとされています。これに対し、教育の世界は、支援者の側の意図や計画といった「操作の論理」を必然的に抱え込む宿命を抱えており、教育的価値を手離すことがなかなかできないので、黒子に徹して伴走することができないのではないか、という指摘です。また、知的障害と肢体不自由では支援者の側の支援観の違いが存在するといった指摘もなされました。

 「多様な教育の場の必要性」を満たしていくには、スクールソーシャルワーカーのような存在が重要になるという意見が出される一方、教師固有の課題としては、鈴木・石垣論文で述べられているような「授業の中の子ども理解」が大切なのではないか、という意見が出されました。

 汐見論文をめぐっては、1980年代からとおして子どもをめぐる状況を俯瞰しているのがよいという評価がありました。「子どもたちは生まれてたしかに自分の人生を自分で選んで納得して生きているという感覚がうまく得られなくなっている」という指摘には共感の声があがりました。放課後デイサービスのような、学校とも家庭とも異なる場では、安心して自分を出せ、主体性を発揮し育むことができます。それでは学校はどうあればよいのでしょうか。囲われた生活の場であるという必然性を抱えつつ、それが肥大化しないように教師は取り組んでき続けたのであり、体験を共有し、居場所という感覚をも持てる場にしようとしてきた中で、<競争>と<共同>のせめぎあいの空間と把握するべきではないか、という意見がだされました。

 第二特集「わたしの教師像をつくる」については、上記の議論をふまえ、「学びを通して居場所をつくる」という役割を担ううえで、Aケアの論理派とB教材・授業研究重視派が存在していることがまず語られました。両者は二項対立の関係にあるわけではないが、一人でABの二役を担うべきなのか、それとも教師集団の中にA派とB派が混在していればよいと考えるべきなのか、という問いが出されました。

 つくられた教師像、求められる教師像からの脱却を提起する佐藤高樹論文については、行政研修においては「カウンセラー型」か「コーチ型」かの方向づけがなされている、という情報提供がありました。これはAケア重視派とB教材・授業研究重視派という民間教育研究運動における指向性の違いと重なるものを含んでいます。こうした方向づけに対し、教師は「場の管理人」にすぎないのでよいのではないか、という意見が出されました。そしてB教材・授業研究重視派にしても、主役は教材であって教師自身ではないのではないか、という意見も出されました。

 佐藤隆論文が指摘する「多忙化が教師たちから主体性と学びを奪い、専門職集団としての質を低下させ」ているという指摘には共感が出され、こうした状況をつくりだしている学校管理職への不満も出されました。これについては二月例会の第一特集を扱う際に再検討することになりました。

 例会の記録を作成してはどうか、という提案については承認がなされ、充実した議論となった時には、『教育』の教育情報欄に投稿して、例会関係者以外にも広く問題提起することも視野に入れることになりました。

 

 2月号の特集は「いま求められる校長の役割」「『みんなの学校』は誰のもの?」です。すでに2月号の教育のことばについては、一月例会でも話題になったところです。ケアと教育という概念が学校現場でどう両立されるべきなのか、両立されうるのか。学校や教師のあり方をめぐって議論してみましょう。

第二特集の執筆者が参加してくれることになっています。補足説明を聞きながら、一月例会での議論の延長戦を再開してみましょう。

 

期日: 227日(木) 1830~ 

会場: 一橋大学第一研究館小集会室 

     西キャンパス正門の正面に見える時計台が図書館です。図書館正面入口を入って右折し、建物の角を道なりに曲がります。渡り廊下を通ってすぐ右にあるのが小集会室です。

 

〇3月以降は423日(木)で、会場は一橋大学第一研究館1F小集会室の予定です。

〇3月28日(土)~29日(日)に、奈良教育大学附属小学校で三月集会が行われます。

2020年1月 6日 (月)

多摩「教育」読者の会1月例会のご案内

12月例会の参加者は8名でした。自家製(!)こんにゃくを煮つけて持参してくださった方を含め、持ち寄りの品によるクリスマス軽食会となりました。

 第一特集「追いつめる社会に抗い、育む」は、教師以外の方の原稿が多くを占めたことについての感想が述べられました。『教育』は小中学校教師の原稿が多くなりがちなので、この特集は珍しい構成だったといえそうです。

 荒巻論文については、なかなかふりむいてくれない生徒や保護者と向き合おうとする粘り強さに感嘆する声が出されました。そのとりくみや登場人物の息づかいが伝わってくる筆運びと、詩的表現で構成された特集冒頭のことばのコントラストに注目した意見も出されました。そして論文の中に登場する学校教師の「来てくれたらやれることはあるんですけどねえ」という反応をめぐり、身近な状況に照らし合わせながら意見交換がなされました。

 川松論文では「学校は教育機関でありながらも、子どもや家族の支援につなぐことができる福祉的な機関でもありえる。学校がソーシャルワーク的な視点をもってかかわれるようになるといいのではないだどうか」という提起がなされていましたが、これをふまえ、自らの職場体験などに照らしながら、スクールカウンセラーやスクールソーシャルワーカーのような存在が果たしうる役割、そういった存在を前提として教師が引き受け直すべき役割とは何なのかについての議論がなされました。また、高校生でありながら、現在の学校や社会を相対化する位置から意見を述べている高田論文についても意見交換がなされました。

 

 特集のまとめであると同時に十月号の続編ともなっていた大江論文については、教師の学級運営をかき乱す子どもに対し、「全体が心地よくなる状態が怖いのかもしれない」と受けとめる解釈には考えさせられるとして、ひとしきり意見交換が行われました。

 第二特集「学校にしのびこむ『黙』」では、スタンダードの徹底が行われる中、逸脱を許さない「黙」の指導を教師が受け入れてしまっているのではないかという意見やそれに対する批判が出されました。また、一律に「黙」を否定するのではなく、その中に見るべき要素があることを評価したうえで、否定すべき点は毅然と批判すべきだとする山本論文を評価する声もありました。

 また、例会の記録を作成してはどうか、という提案がなされました。充実した議論となった時には、『教育』の教育情報欄に投稿して、例会関係者以外にも広く問題提起することも視野に入れた提案です。この点については一月例会で再び話し合う予定です。

 

 1月号の特集は「インクルーシブと特別支援を深く知る」「わたしの教師像をつくる」です。

高校でも求められるようになってきた特別支援。最近は、教えることにこだわりのない(ケア志向の)教員志望者が増えているという話もあります。そんな状況の中で、学校や教師の役割をどう考えればよいのか。12月例会では第一特集をめぐってケアと教育のあり方について言及がなされました。その延長線上にあるテーマとして議論したいと思います。

 

期日: 123日(木) 1830~ 

会場: 一橋大学第一研究館小集会室 

     西キャンパス正門の正面に見える時計台が図書館です。図書館正面入口を入って右折し、建物の角を道なりに曲がります。渡り廊下を通ってすぐ右にあるのが小集会室です。

 

2月以降は227日(木)、326日(木)で、会場は一橋大学第一研究館1F小集会室の予定です。

〇3月28日(土)~29日(日)に、奈良教育大学附属小学校で三月集会が行われます。

 

 

 

2019年11月 7日 (木)

多摩「教育」読者の会11月例会のご案内

 9月例会の参加者は初参加の大学生2名や特集企画担当者を含む11名でした。職員集会所が使えなくなったため、キャンパスに隣接する佐野書院で行われました。

議論は専ら特集1「過敏な子ども・固まる子ども」に集中しました。

 大江論文にある実践に対しては、道徳と生活指導と学級経営が融合したものであり、固く閉じた子どもたちの塊を溶かし、声を引き出していく力量に賞賛の声が出されました。教師経験者からは、ギャングエイジにさしかかった子どもたちと上手に向き合うのは難しいといった声や、教材を媒介とする教科指導でないこのような実践を自分にはできる気がしない、という声も出されました。他方で、「みんなで言えないストーリーに変えてみようか?」という発題は見事だとする一方で、「教科書の正解は…だよね」という発言に対してはその含意について評価が分かれ、いろいろな意見が出されました。

 また、嵯峨山論文に出てくる生徒が『はだしのゲン』に出会って生き直す様子について、教材が持つ感化力について議論がなされました。教育情報の「道徳教育の『転換』と授業」が、「子どもに『自分との関わりを発言させねばならぬ』といった矮小化されぬ」よう警告を発していることとあわせ、道徳・公共・現代文といった「教科」で読み物がどのように扱われることが望ましいのか、意見交換がなされました。そこでは教師が正解をおしつけてはいけないという意見が出る一方で、ただそれぞれの子どもたちの考えを聞いていくだけでよいのかという意見も出されました。

 さらに、天木論文にある養護教諭や荒巻論文にあるソーシャルワーカーのような、教諭とは異なるポジションにある存在の固有な役割についても議論がなされました。

 

 11月号の特集は「改革ラッシュに揺らぐ高校教育」「教育の『無償化』ってほんと?」です。9月号では教師の現状に、10月号では子どもや若者の現状に焦点をあててきましたが、教育改革の現状を議論したいと思います。

 

期日: 1128日(木) 1830~ 

会場: 一橋大学佐野書院小会議室

    (『教育』には第一研究館小集会室と記載されていますが、会場変更となりました

    国立駅から正面に延びる大学通りを歩き、西キャンパス正門を通過して、キャンパスの角で右折します(標識あり)。50mほど進み左手にある邸宅が佐野書院です。キャンパス内ではなくキャンパスの外にあるのでご注意ください。

    http://www.hit-u.ac.jp/guide/campus/campus/index.html (26番が佐野書院)

12月例会は1219日(木)で、会場は一橋大学第一研究館1F小集会室です。

2019年10月 3日 (木)

多摩「教育」読者の会10月例会のご案内

 9月例会の参加者は8名でした。小・中・高・NPO立学校の関係者・経験者がそろったこともあり、議論は専ら第一特集「縛られる学校、自らを縛る教師たち」の内容に集中しました。

 まず、塩崎論文で紹介されている下駄箱の靴や傘の柄の揃え方、職員室への子どもの入り方のルーティーンが話題となり、異常な生活指導だという意見が共有されました。

また、角谷論文については、隙のない指導教員の指導によく耐えきったという同情の声があがりました。「気がつけば…指導案を展開するロボットになっていきました」と書かれているが、このような文章を書いているからには、指導体制に疑問を持っているのだろうという意見が出る一方で、最近の若い教員は(必要な指導内容も含めて)聞き流している人も増えている、という指摘も出されました。こうした教員の縛られ方については、新川論文の「選べるのは『はい』か『YES』か」しかないという表現にも良く表れているという意見がでました。谷口論文で述べられている、研究授業でまわりからの評価に押しつぶされそうになったというエピソードについては、参加者自らの授業姿勢をふりかえって議論がなされました。我が道を貫いているという参加者もいる一方で、研究授業以外でも定期試験の統一問題化によって教材・授業内容の画一化がすすめられているという報告もありました。また曽和論文がとりあげた宿題についても、宿題を出すことが自己目的化しており、そのこと自体に教師が疑問を持たなくなっているといった指摘がありました。こうした状況については、当日欠席した現役の中学校教員から、「愕然としました。現場感覚として、もちろん実感もあるのですが、あそこまでの現況が文字で示されると、足元が崩れていく感覚です。」という感想をいただいています。

教師文化をとりあげた松田論文については、紹介されている「あいうえお運動」について無意味だと批判する意見がでる一方で、子どものリアクション自体は授業で意味あるものだから、何のためにどのような方向づけをするか、めあてを見すえることが大切だという意見もだされました。マニュアル化に伴い教員文化が収縮しているという松田論文の指摘に共感が出される一方で、「何に縛られるか」を相互行為的達成として説明する鈴木論文の主張はわかりにくいという声がでました。これに対し、社会構成主義の立場から書かれた論文だという説明や、松田論文と鈴木論文では出発点として見ている教師文化の内容が異なるのではないかという意見が出されました。そして、「自らを縛る」文化をつくりあげているのも教師の相互行為であるならば、それを相互行為でつくりかえる可能性もあることを指摘しているのではないかという解釈が出されたのに対し、厳しく縛られている現状において、「成否もまた主体的な教師間相互行為に委ねられている」とするのは楽観的すぎるのではないか、という反論も出されました。

 

 10月号の特集は「過敏な子ども・固まる子ども」「学童期の子どもたちと泣き笑い」です。9月号第二特集に続き、子どもや若者の多様な生のあり方を見つめ直したいと思います。

 

期日: 1024日(木) 1830~ 

会場: 一橋大学佐野書院小会議室

    (『教育』には職員集会所と記載されていますが、職員集会所が使用停止となったので、会場変更となりました

    国立駅から正面に延びる大学通りを歩き、西キャンパス正門を通過して、キャンパスの角で右折します(標識あり)。50mほど進み左手にある邸宅が佐野書院です。キャンパス内ではなくキャンパスの外にあるのでご注意ください。

    http://www.hit-u.ac.jp/guide/campus/campus/index.html (26番が佐野書院)

11月例会は1128日(木)で、会場は一橋大学佐野書院です。

12月例会は1219日(木)で、会場は一橋大学第一研究館1F小集会室です。

 

 

 

2019年9月16日 (月)

多摩「教育」読者の会9月例会のご案内

7月例会の参加者は8名でした。

 議論は第一特集「子どもが決める」から始まりました。特集企画担当者から、巻頭論文の代わりにミニ実践報告を冒頭に持って来てみたとか、全国大会第1回プレ学習会の内容を受けた原稿を盛り込んでみた、といった企画構成にかけた思いが述べられました。議論では、野外教育団体による地域活動の中で子どもの自主性がどう育まれているかを扱った桜井論文や、生徒会がない学校で、公開研究会の分科会に生徒が参加している事例を扱った新井論文などに言及がなされました。またプレ学習会での報告にあった「学ぶことは、知識を教えてもらうイメージを学校で身につけてきて」いるといった指摘や、1976年教科研方針には学習者を主権者としても位置づけ直していく試みが含まれていたと捉え直すことを提起する荒井論文について、共感をもった意見が述べられました。

第二特集「主体として生きられる教師」については、座談会内での「小学校現場にはいろいろなことが入ってくる」という発言をもとに学校改革の状況が議論されました。

  全国大会は桐朋中学・高等学校で8月8~10日に開かれました。参加者数は500名を超え、昨年の神奈川大会なみの規模となりました。多摩「教育」読者の会の地元とあり、会員の皆さんには報告者の推薦や当日の運営ボランティアなど、さまざまなかたちでご協力いただきました。この場でお礼を申し上げます。

 

 9月号の特集は「縛られる学校、自らを縛る教師たち」「誰もが何かのマイノリティ」です(8月号は扱いません)。7月号に続き、教師のあり方を見つめ直したいと思います。

 

期日: 926日(木) 1830~ 

会場: 一橋大学職員集会所

    

10月例会は1024日(木)で、会場は一橋大学職員集会所です。

2019年7月24日 (水)

多摩「教育」読者の会7月例会のご案内

6月例会の参加者は7名でした。

 議論は第一特集「学校と地域の新しい関係」から始まりました。論文にあるような学校と地域の関係が羨ましいという声に対し、学校も地域も互いに相手に依存せざるをえない苦境の表れではないか、という解釈が出されました。ついで、過疎地では全国から生徒を募集している事例が増えているという話が出ましたが、生徒募集に成功している事例もあるが、多くの後発事例では思うように人が集まっていないことや、高橋論文にあるように町村民により支えられている事例がある一方で、トップダウンで全国募集が決まり、民間のマーケティングノウハウを活用して学校改革を進めている事例もある、といった話が出ました。また町村立高校は、都道府県が統廃合を進めようとする中、市町村が維持運営を引き取っている場合があること、そのため地域の衰退を示す指標でもあること、などが指摘されました。そして必ずしも財政的に余裕があるはずがない町村で、下宿費補助金交付制度を設立して、生徒に財政的支援をしていることへの感嘆が疲労されました。今井論文で言及されている高大連携については可能性を期待する声が出る一方で、トップダウンでやってきて内発的に動機づけられていない場合が大半であり、連携先も物理的に交流可能圏にある大学に限られてしまうために活性化する可能性は薄いのではないかという意見も出されました。国や教委からのトップダウンの教育改革については全否定すべきなのかどうか躊躇することもあるという発言があったため、過去の地域教育改革の事例を掘り起こしながら、現場の当事者の内発的動機を生み出すにはどうすればよいのか模索がなされました。

また、山口論文に描かれている離島の教師の姿に対して賞賛がなされる一方で、そうした地域では過酷な残業が少ないはずだという指摘があり、教師の働き方改革を積極的に進める必要があるという主張が出されました。そして教師のサービス残業に追われる姿を不自然だとして、学校管理職のリーダーシップで残業を減らす取り組みを進めるべきだし、教員側もおかしいと声をあげていかないといけないという指摘がなされました。また、そうした勤務実態が生み出されている原因として、部活動の指導や報告書の作成業務、なんでも丸抱えする教員文化などが挙げられましたが、1970年代初めにはそんなに残業が行われていなかった以上、残業文化はある時期から創り出されたものである、という意見も出されました。

第二特集「市場化する学校」については、小池由美子論文が描く、教育産業の介入とそれを受容させられる学校について意見が述べられました。これについては、現在の学校が必要でない行事・業務を抱え込まされているのではないかという意見や、テスト・入試だけでなく、評価システムまでも教育産業が引き受ける事態になってきているが、これは多忙化する中で教員も異を唱えなくなるのではないか、という意が出されました。また、中村文夫論文が指摘する、非正規教員や教育補助職の配置がすすみ、本採用公務員がじっくりと腰を据えて教育に取り組む場ではなくなっているという事実をどう受けとめるべきかという問題提起がなされました。これに対しては、4日前に開かれた第3回全国大会プレ学習会の児美川孝一郎さんの「学習の個別最適化が進む」という分析と重ねる参加者もいました。それでは集団的な教育の機関として学校は何を担うことになるのかという問いが出され、道徳教育ではないかという意見も出されましたが、そんなにきれいに教科学習と道徳教育が二分化するだろうかという疑問も出されました。

 

 7月号の特集は「子どもが決める」「主体として生きられる教師へ」です。6月例会の中で先取りして言及された論文もありますが、権利の主体として子どもが生き、学ぶとはどういくことか、教師が「主体として生きられる」とはどういうことか、改めて議論したいと思います。

 

期日: 725日(木) 1830~ 

会場: 一橋大学第一研究館小集会室

    西キャンパス正門の正面に見える時計台が図書館です。図書館正面入口を入って右折し、建物の角を道なりに曲がります。渡り廊下を通ってすぐ右にあるのが小集会室です。

 

8月中旬に全国大会が開催されるため、8月例会は休会とします。

9月例会は926日(木)で、会場は一橋大学職員集会所です。

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