9月例会の参加者は8名でした。小・中・高・NPO立学校の関係者・経験者がそろったこともあり、議論は専ら第一特集「縛られる学校、自らを縛る教師たち」の内容に集中しました。
まず、塩崎論文で紹介されている下駄箱の靴や傘の柄の揃え方、職員室への子どもの入り方のルーティーンが話題となり、異常な生活指導だという意見が共有されました。
また、角谷論文については、隙のない指導教員の指導によく耐えきったという同情の声があがりました。「気がつけば…指導案を展開するロボットになっていきました」と書かれているが、このような文章を書いているからには、指導体制に疑問を持っているのだろうという意見が出る一方で、最近の若い教員は(必要な指導内容も含めて)聞き流している人も増えている、という指摘も出されました。こうした教員の縛られ方については、新川論文の「選べるのは『はい』か『YES』か」しかないという表現にも良く表れているという意見がでました。谷口論文で述べられている、研究授業でまわりからの評価に押しつぶされそうになったというエピソードについては、参加者自らの授業姿勢をふりかえって議論がなされました。我が道を貫いているという参加者もいる一方で、研究授業以外でも定期試験の統一問題化によって教材・授業内容の画一化がすすめられているという報告もありました。また曽和論文がとりあげた宿題についても、宿題を出すことが自己目的化しており、そのこと自体に教師が疑問を持たなくなっているといった指摘がありました。こうした状況については、当日欠席した現役の中学校教員から、「愕然としました。現場感覚として、もちろん実感もあるのですが、あそこまでの現況が文字で示されると、足元が崩れていく感覚です。」という感想をいただいています。
教師文化をとりあげた松田論文については、紹介されている「あいうえお運動」について無意味だと批判する意見がでる一方で、子どものリアクション自体は授業で意味あるものだから、何のためにどのような方向づけをするか、めあてを見すえることが大切だという意見もだされました。マニュアル化に伴い教員文化が収縮しているという松田論文の指摘に共感が出される一方で、「何に縛られるか」を相互行為的達成として説明する鈴木論文の主張はわかりにくいという声がでました。これに対し、社会構成主義の立場から書かれた論文だという説明や、松田論文と鈴木論文では出発点として見ている教師文化の内容が異なるのではないかという意見が出されました。そして、「自らを縛る」文化をつくりあげているのも教師の相互行為であるならば、それを相互行為でつくりかえる可能性もあることを指摘しているのではないかという解釈が出されたのに対し、厳しく縛られている現状において、「成否もまた主体的な教師間相互行為に委ねられている」とするのは楽観的すぎるのではないか、という反論も出されました。
10月号の特集は「過敏な子ども・固まる子ども」「学童期の子どもたちと泣き笑い」です。9月号第二特集に続き、子どもや若者の多様な生のあり方を見つめ直したいと思います。
期日: 10月24日(木) 18:30~
会場: 一橋大学佐野書院小会議室
(『教育』には職員集会所と記載されていますが、職員集会所が使用停止となったので、会場変更となりました)
国立駅から正面に延びる大学通りを歩き、西キャンパス正門を通過して、キャンパスの角で右折します(標識あり)。50mほど進み左手にある邸宅が佐野書院です。キャンパス内ではなくキャンパスの外にあるのでご注意ください。
http://www.hit-u.ac.jp/guide/campus/campus/index.html (26番が佐野書院)
〇11月例会は11月28日(木)で、会場は一橋大学佐野書院です。
〇12月例会は12月19日(木)で、会場は一橋大学第一研究館1F小集会室です。
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